2016年01月23日

【1998年 日本代表ユニフォーム】(炎モデル)

【1998年 日本代表ユニフォーム】

1996-1997年(炎モデルT)

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http://www.hdrank.com/images/upload/keyword/584/10666/10461.jpg

http://football-uniform.up.n.seesaa.net/football-uniform/image/Japan-96-97-home.jpg?d=a0参照

1996-1997年(PUMA)
【フル代表(加茂監督)】
 96年5月のキリンカップ・ユーゴスラビア戦から着用。
 3年半ぶりにデザインが変更された。初代「炎」モデルとなる。
 UAEで行われたアジアカップでは準々決勝でクウェートに完敗、
 「ガルフショック」と言われている。
http://football-uniform.seesaa.net/article/241406722.html参照


1998-1999年(炎モデルU)
 記念すべきワールドカップ初出場モデル。袖の炎が少し小さくなったマイナーチェンジモデル。
 adidas、PUMA、asics の3社がサプライヤーを担当し、本大会モデルはasics が栄誉を拝した。

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http://blog-imgs-37.fc2.com/k/o/b/kobelove0130/C6FCCBDC98asicsWCC0C4C7F2C0C4-BDB8B9E72.jpg参照

 世界への初挑戦は3連敗に終わったが、
 骨折をおして初得点を決めたゴンや大会後に海を渡った
 中田英寿の勇姿が目に浮かぶ。
 
 nataka0704-1.jpg
http://photos.nikkansports.com/soccer/nakata/photo/nataka0704-1.jpg参照


 W杯後トルシエ政権下でも着用されたが、
 アウェイモデルはフル代表での着用歴はなく、
 日韓大会に向けて牙を研ぐアンダー世代で着用された。

 アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカ。
 小野伸二のワールドカップデビューはジャマイカ戦でした。
 そして、三浦和良はワールドカップ本大会のメンバーには
 選出されませんでした。

 
 加茂監督がワールドカップ予選で更迭され、岡田監督代行に
 なった日本代表。奇跡的に窮地を脱して本大会へ出場しました。
 岡田監督と三浦和良選手の確執はあまり知られてはいませんが、
 関係者によるとかなりの確執だったと言われています。


【サッカー日本代表大百科】
posted by サッカー侍 at 19:37| Comment(0) | サッカー日本代表ユニフォーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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